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10年の沈黙を破りパワーアップして帰ってきた孤高のピン芸人「ですよ。」はThe Beatles論。【お笑い】

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皆さん、孤高のピン芸人「ですよ。」を覚えているだろうか。

 

 

芸人「ですよ。」と言えば、古の時代にあった古代の祭典、「エンタの神様」というネタ番組で毎週の様にステージに突如現れ、ただ謝る事でお茶の間を沸かしていた前例無き規格外の破天荒芸人だ。(歴史の教科書P256ページに載っています)

「ですよ。」は現在俗に言う一発屋芸人のレッテルを貼られている。

 

一発屋芸人とは応用性に欠けたネタしか携えず手札が1枚しかない状態で芸能界に入国するもバラエティ番組での立ち回り椅子取り大戦争に無残に敗れ散った芸人の事を指す。

 

僕は思う。

 

ですよ。は、ちげぇ……

 

ですよ。は一発屋芸人なんかじゃねぇ……

 

ですよ。は…

 

ですよ。は…

もっと有能で賢くて実力のある芸人

なん、です、yo!!

 

なんだその目は。

よし疑いの目で見る君らのために

今回改めて今一度「ですよ。」を振り返って見てみようと思う。

 

「ですよ。」のネタはシンプルに説明すると

 

自己紹介して懺悔

 

以上。

 

実に軸がしっかりしている。

 

なんだよそんだけかよ!って声が聞こえてきたがそんなわけないだろ!!

 

これだけなら一発屋芸人だよ

 

だがですよ。は一発屋芸人じゃない、理由は

 

パワーフレーズをいっぱい持っているから。

 

一発屋芸人はこのパワーフレーズを一個しか持たない弱小戦士だ。

ですよ。はそんな貧弱じゃない間違いないさんやどうでもいいですよさんと違うのだ。

 

 

せっかくなのでそのパワーフレーズ改めて振り返ってみよう。

 


エンタの神様 ですよ。

①yo!yo!ですyo!

 

登場していきなり仕掛けるオリジナリティ抜群の自己紹介。yo!yo!で戦場にリズムを作り出し会場を一気に支配した後、お前らの長は俺だと高らかに宣言し制圧するかの如く自身の名前を叩きつける「ですyo!」これを二回繰り返す圧巻のイントロ。

 

②「ですよ。の最近は謝ることばっか、今日も昨日も一昨日も謝る事いっぱーい」

 

半端じゃねぇリリック考え尽くされ力強く踏み込まれた韻、言葉の羅列、ラップのズバ抜けた完成度とは裏腹にみんなが知りたがっている「ですよ。」自身の近況の総括。実力と人気を兼ね備えた剛腕孤高のピン芸スターにあるまじきその近況の総括の謙虚さに血の通った人間なら胸をうたれないわけがない。

 

③「そういうこと〜!」

 

見落とされがちだが僕は見落とさない。切れ味鋭過ぎて皆見落とすのもしょうがないがな。

②の後に毎回必ず差し込まれるこの一言。

①から②を叩き込んできて②が終わったらツッコみを目論む浅はかな凡人をこの一発で

制圧する。1人の「ですよ。」が一億の日本人を同調圧力で制する。

 

④「あ〜い、とぅいまて〜ん!!」

 

みなさんお待ちかね大本命、ですよ。の伝家の宝刀、メインウェポンの必殺ワード。これを切り出されたらみんな許さずにはいられないし最早許さない方が罪になる。許さないことが許されない。「ですよ。」がすごいと言われているのはこの代表作にある。切腹、土下座、謝罪、全ての懺悔の歴史を掻っさらい新しい懺悔のあり方の提案し起こした第一次懺悔革命は彼を一躍時の人とした。

紹介した通り彼にはパワーワードが4つもある。

そしてそのどれもが十分応用性にとんでいた。

彼は自分のポテンシャルの高さと人間としの価値とは裏腹に

この4つのパワーワードを巧みに駆使し

皮肉にも「懺悔」をする事でこの日本を席巻し統一したのだった。

 

それも昔の話、彼はその後すぐ表舞台から姿を消した…

理由が分からない僕は終始混乱したが、待つしかなかった

ただ彼が再び返り咲くその時を待っていたのだ。

 

退屈な毎日をただ消費していただけのそんなある日人伝に彼の近況が僕の耳に届いた……

 

彼はまだ、懺悔を、続けている

 

しかも、パワーアップして!!!!!!

 

それを聞いて嬉しかった!

彼はまだ彼だったのだ!!!

 

そして、久しぶりに見た彼の「懺悔」に僕は度肝を無抜かれた…(彼はまだ表舞台を望んでいないのか近年の映像を入手する事がいまだできていなくここに貼り皆に見せれない己の力の無さが憎い。しかしネットの海のどこかで僕は現在の彼を見てきた!記憶が曖昧だがたしかに見てきた!だからみんなも臆する事なく諦めずこの記事を読み終わったら現在のですよ。を探す旅に出てほしい。)

 

 

彼は、とにかく懺悔を完全に支配し切り自己の力でそれを調節できるほどまでに極めていた。その力を、その懺悔を、完全に自分の肉体の一部としていたのだ……

 

30%、70%、100%

 

120%!!!!!!!!!

 

僕は思った………

 

戸愚呂か!!!!!!!!と

 

幽☆遊☆白書の戸愚呂弟が自身の体をパーセンテージで乗りこなしていた様に

ですよ。はあの懺悔を完全にパーセンテージで乗りこなす事に成功していた。

 

 

…ここからは僕の憶測になるのだが

ある時からテレビの世界から姿を消したですよ。は懺悔を極める事に専念したかったんだと思う。

テレビの世界にいるとどうしても邪魔が入るし

集中できない。彼は生活をしたいわけではなかった。

彼はただ、人生をかけて「懺悔」を極めたかったのだ。

僕は何故かそんな彼の背中に

人気絶頂期ライブ活動をやめて

CDの制作のみ没頭した後期のThe Beatlesを重ねていた。

日々日影に身を隠し黙々と鍛錬を続けてきた(懺悔in my life)

底知れぬプロフェッショナルなその後ろ姿を

僕は誇らしく思ったし強く負けてられないぞと思った。

 

彼は教えてくれた。

自分の人生の目的は、生活に置くんじゃなくて

自分の本当にやりたい事本当に成し遂げたい事に置くんだって。

目先の小さな利益で大事なものを、大事な時間を、大事な人生を無駄にしちゃダメだって。

 

 

今日の世間にはびこる皆さんの目から見た「ですよ。」への偏見や誤解を

この記事で少しでも解けたらと無粋かもしれないけど今回書かせて頂いた。

最後まで読んでくれて本当にありがとう。

この記事を読んで「ですよ。」への今までの無礼をみんなが改めようと決めたとしても

本人への謝罪は無用だ。

彼はそんな事を気にする器ではないし、彼はそんな事を望まない。

 

 

彼にとって「懺悔」はされるものじゃなく、するものなのだから。