ダメ東京の徒然なるブログ

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ダメ人間代表のダメ東京による徒然なるブログです。好きな様に好きな事だけ雑記しています。

愛弟子My Hiar is Badに喰われた2018年尾崎世界観の言う「いつか」は来てしまったのかもしれない2018年5月11日武道館講演クリープハイプのすべてを考察

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「連れて行ってあげるから 憂、燦々」

 

クリープハイプをはじめて聴いたのは

6年前ぐらい。このサビ入りからだ。

 

当時黒髪マッシュサブカル界の先頭を行く

カリスマ、アイコン的存在だったクリープハイプを聴かず嫌いしていた僕。

ある日「一回どんなもんか」と明らかに美空ひばりの愛燦燦をもじったタイトルを軽蔑の眼差しとその下に付いている鼻で笑いながらこの曲を再生した。この気まぐれな再生こそが不覚にも彼の彼らの「世界観」へと引きずり込まれるきっかけとなった。

 

 

露骨な性的表現

堕落した退屈な生活の絶望感

それらの裏に潜む女性的純粋さ

彼(尾崎世界観)自らの怒り

 

この様な題材を

 

ハイトーンボイス

異常なまでに研ぎ澄まされ卓越した比喩表現

独自のきめ細かなギターフレーズ

代名詞となった繰り、返すサビ(過去に山程先人がいたが繰り返すサビを執拗に繰り、返し続けた結果2010年代においてこれは彼らの専売特許となった)

 

で曲へと組み立てていき

 

絶望の時代に憂鬱に日々を過ごす若者達の理由無くぽっかりと空いた埋まらない隙間にそれをぶち込んで救い、その効力や毒(美味いものは身体に悪い)の強さから強中毒を起こさせ

当時、クリープハイプはサブカル界を圧倒的個性と腕力で制圧し、尾崎世界観はその筋のカリスマと化し、その島一帯を完全に支配した。

 

ファンの素行が悪い事やベストアルバム問題、レーベル移籍など彼らに降りかかる数々の不運な事件すらもサブカルの旨味でありそれらをサブカルチルドレン達は美味しそうに笑顔で貪った。

 

2軍のスター選手はいつか必ず1軍へ駆り出される。ずっと2軍で踏ん反り返ってはいられない、大人や世間はほっておかないし売れるが正義の今までの先人バンドの歴史が彼らを足止めさせることはない。サブカル界を一帯を完全に支配し切ったクリープハイプは当然音楽界のメジャーシーンへ進出して行くことになる…

 

客層を明らかに選ぶ(声質や歌詞)クリープハイプのメジャーバンド化計画は(ここで指す「メジャー」とはメジャーデビューのメジャーではなく近年のサブカル界の脱却後の彼らを指す)2018年、クリープハイプ的に成功なのだろうか?失敗なのだろうか?考えていきたい。

 

 

僕の思う近年の彼らの、いや尾崎世界観の(ボーカルはバンドの顔だから仕方ない)メジャーでの功績を挙げてみよう

 

半自伝小説「祐介」の発売、大ヒット

毎月何本か抱えているエッセイやコラム

週一のレギュラーラジオ

テレビ番組のナレーションや自身の出演

 

……ちょっとまて、あれ

 

音楽的功績が一つもない…

 

いや、しっかりと曲やCDはリリースしているしその頻度も昔程ではないが定期的に出せている。

 

しかしどうだろう

 

クリープハイプのファンに問いたい…

 

正直少し前までクリープハイプ漬けだった君達の再生履歴、アルバム世界観のリリース以降(ここが肝)クリープハイプよりもMy Hair is Badの曲ばかりになってはいないだろうか?

 

少なくとも僕はそうだし僕の周りのクリープハイプのファンもわりとこの傾向にある。

世界観のリリース以降の彼らの曲達には明らかにパンチ力が足りてない。完全な手打ちで腰が入っていない。故に今までのファンには、それまでの腰の入った右ストレート以上の威力ではない為、全く効かない。

世界観のリリースと同時に彼らは、ツイッターと遠吠え、堕落し切ったヒモ感を駆使しながら圧倒的カリスマ性を放ち突如出現した(皮肉にもクリープハイプの後押しもあり)クリープハイプを敬愛する(タイトルで愛弟子と言ったのは大袈裟な表現だったがそれくらい椎木にとってクリープハイプから学んだ事柄

は大きいはずだ)サブカル界の若頭椎木知仁に寝首を掻かれ喰われ全部持っていかれる結果となった。

待ちに待ったここが勝負所の前のめり前のめりな怒り狂う椎木知仁の魂(曲)にメジャー昇格後音楽以外の自己表現の場を与えられて腑抜けてしまった尾崎世界観に勝ち目は、無い。

 

尾崎世界観の活動の源であった「怒り」は今までの様に曲に凝縮される事はなく、様々な媒体へと分散されていくこととなる。

 

わざわざ曲に変換しなくとも

小説にし、エッセイやコラムに書き

ラジオで話し、テレビで話せばよい環境が

尾崎には与えられてしまった。

 

しかし息継ぎする間も与えられぬまま音楽活動はしっかり平行的に進められる(部活も勉強もという感じに)その為音楽制作は必然的に無意識だが昔よりもやっつけ仕事になる。その為歌は薄味になり、今まで彼のアイデンティティでもあった曲にねじ込み潜めていた「世界観」は、皮肉な事にアルバム世界観のリリースを機に消失してゆくいうあまりにも残酷な結果を招いた。

 

最近のタイアップ勝負所だったイト。のサビの歌詞、サブカル界のカリスマだった時の彼ならもう2捻りはしていたはずだ。(あまりにも分かりやすくメジャー的かつJ POPかぶれのストレートが過ぎるサビの歌詞に物足りなさを感じたファンがいるはずだ)

それをひた隠すかの様に音数を増やしたり、旬の過ぎた鮪や男版女子12楽坊、マイナーなラッパーなどとの悪足掻きともとれるイマイチハマりきらなかったコラボ制作、アルバムでもなくシングルでもない作品集という捻くれ方を間違えた歪なアプローチがなされる。

 

物事や活動において時代が進み続ける限り、変化は確実に必要だが尾崎が近年魅せてくる変化はあまりにもお粗末で無理な体勢から苦し紛れに投げてくる取ってつけた様な付け焼き刃な策に見える。

 

それらから

 

クリープハイプのメジャー化計画は

尾崎の一流の音楽活動以外の一流な活動により

クリープハイプを広めるという目的において

成功したと言えるだろう。

 

しかし

 

クリープハイプのメジャー化計画以降の

尾崎による明らかな二流の音楽活動に伴い

クリープハイプのバンド活動において

今までのファンに新曲達が刺さり切らない

という点で失敗したと言えるだろう。

 

クリープハイプは近年その顔を世間に広める事に思惑通り成功したが、忙しさや恩恵の代償として自らの核であった音楽の精度を落とす結果となった。

メジャー化する事はクリープハイプにとって絶対に良い事だったがその上でファンが第一に尾崎に求めている「曲」の質は落とさないでほしかった。昔が良かった、のではなく昔のクオリティーは最低限維持してほしかった。

 

2018年、表向きクリープハイプは「報われ」

尾崎世界観が苦しみの中で吐いた「いつかは」やっと訪れてしまったのかもしれない。しかし、僕らが連れて行ってほしかったのはこんな「いつか」ではなかったはずだ。

 

やっと訪れてしまった「いつか」の満たされた苦しみの中で尾崎にはもう一度あの時の「世界観」を再生してほしい。

 

なんて偉そうに吐くファンに「余計なお世話だよばーか」ってルーティンではなく今でも心からぶつけれる彼でいてほしいとも思う。

 

いちファンとして2018年5月11日に行われる2度目の武道館公演、初めての「葡萄館公演」の舞台のセンターにはあのサブカル界のカリスマが登場することを願うばかりだ。

 

 

 

 

 

何が世界観だよな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いいや、僕らが求めてるのは

今も昔も尾崎のその世界観なんだよな。